6年生 戦争体験
6年生は「戦争体験者から直接お話を聞く」授業がありました。
今回お話に来ていただいたのは昭和2年12月12日生まれの久保田利雄さんです。90才のお誕生日直前の11/30に来校いただきました。
久保田さんは戦後70 年(2015 年)の時、地域センターで戦争体験を語った経験があり、自分の体験を本にまとめていました。事前にその本を配っていましたので、6年生は朝学習の時間などを利用して体験を学習していました。
当日は6年生の理解がさらに深まるようにと、支援本部で本の中に出てくる場所や体験した事などの写真をパワーポイントにまとめました。
久保田さんは直接軍隊に入隊して戦争に行った訳ではありませんが、14 才(昭和17年)のときに満蒙(まんもう)開拓(かいたく)少年(しょうねん)義勇軍(ぎゆうぐん)に志願し満州の三江省樺川県の追分訓練所に行かれました。
この写真は壮行式で答辞を読む高等小学校の卒業生です。14才、まだまだ幼さの残る少年たちが親元を離れ満州の地に渡ったのです。14才は今の中学2年生、お話を聞いた6年生のほんの2才年上に過ぎません。
満州へは開拓を目的に行ったのですが、訓練所に着くとすぐ歩哨の当番があり、1時間ずつ3交替で24 時間、銃をもって見張りにつきました。
秋までは農作業ができますが、冬は農作業ができません。そのため、近くの軍事部隊に入隊し軍事訓練を受けたそうです。
3年目の昭和20年8月に日本は無条件降伏をしますが、前年の昭和19 年の5 月頃から開拓団のメンバーも戦争へと駆り出されていきます。久保田さんも昭和19年11月に貨物省へ徴収されました。昭和20年8月9日にはソ連軍の戦車部隊が日本軍へ攻撃を始め、飛行機からの機銃掃射も受けました。生きていましたがソ連軍に収容され3年間の抑留生活を送り、昭和23年の12月に日本に戻ってきたときには21 才目前となっていました。
質疑応答では、戦争中の空気感はとの質問に「戦争に行きたいと思っていたのはほんの一部の将校だけ。みんな戦争には行きたくなかった。でもそんなことを口にしたら政府に逮捕されてしまう。本当に厳しい時代でした。」と今がどれほど恵まれているかお話しくださいました。
授業が終わって一人の児童がどうしても久保田さんに渡したいものがあると、学園長室まで届けてくれたものは、カルピスウォーターでした。なぜなら、久保田さんが本の中で「この世にこんな旨い物がある事を初めて知りました。あの味は今でも忘れられません。」と形容していたのがカルピスだったからです。優しさをありがとう(^‿^)